「夏の熾火」と大徳寺、そして西陣

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5月連休明けの木曜日、1日有効に京の町を散策しようと早めにホテルを出ました。
9時前「今宮神社」の境内には、参拝客は独りもいません。貸し切りです。
この「今宮神社」は徳川五代将軍綱吉公の生母桂昌院とゆかりのある神社です。西陣の八百屋に生まれ「お玉」と呼ばれ三代将軍家光公の側室となりましたが、荒廃していた今宮神社の社殿造営など様々な寄進をしたことで有名です。
脇の参道は時代劇でよく使われる場所のようで、なかなかの風情です。

ここから歩いて大徳寺へ、人は疎らでした。
写真は托鉢から戻った臨済宗の修行僧達です。
15年前、大徳寺本坊に手紙を書き、調査を依頼した事がありました。
現在最後の纏めをしている「夏の熾火」の主人公の一人、吉見台右衛門(順正) が、出家後、大徳寺近くの寓居、あるいは塔頭の一つで亡くなったという記載があり、それを確かめようとしたのですが、大徳寺では全く把握していないとのことでした。
結局「判らないと云うことは判った」のですが、上梓前に物書きとしての拘りで「大徳寺」にやって来たというわけです。
あれから15年、吉見順正の臨終の正確な場所は判らないまま、「春吉省吾」の小説の世界にゆだねられたわけですが、いくら取材をしても、文献を漁っても、仕上がらなければこれらの努力は酬われません。2000枚以上の重層的な作品を仕上げるのは、そう簡単ではありません。
大げさに思われるでしょうが、「命を削って仕上げている」というのはそういう事だとご理解ください。

ところで、西陣は、京の中でもさすがに奥が深い。今回はデパートに出店していない、自動扉のない、入りづらい和菓子屋さんを数軒梯子して、生菓子と干菓子を少しずつ買ってみました。
百年以上の歴史を持って現在まで店を張っている京の和菓子屋は30件ほどで、私の想像
よりは少なかったのですが、こういう菓子を作って百年以上、暖簾を守ってきたのだから凄い。
何れにしても、その背景にはそれらの店を支えた大きな京の文化があったればこそでしょう。
老舗の二軒ほどで、女将さんから話を伺うと、その自負はなかなかのものでした。
味と価格が市場価格とかけ離れているのは、代々の秘伝を守抜いた京都の伝統というブランド代と納得する他はありません。それだけのものが「京都ブランド」にはあると言うことです。但し、ブランド力=美味しいとは全く別物ですので誤解の無いように願います。

高校のグラウンドの直ぐ隣りに、宮内庁が管理する天皇の墓があったりしますが、それを当たり前のこととして普段は気にも留めずに暮らしている。
ちよっと囓ったぐらいでは忽ち肩すかししっぺ返しをしを喰らう。京の町は一筋縄ではいかないの面白さが何層に重なって存在しています。
それから墓と云えば、紫式部の墓を探すのに、一時間近く歩き回りました。勿論、観光客は誰もいません。その日は、一日4万歩近く歩いたでしょうか。
京旅行の最後に何時も立ち寄る、京都駅前「京都タワー」の地下三階の銭湯で、汗と疲れを癒やして新幹線で無事戻って参りました。 2015/05/23