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「居合道」と春吉省吾の時代小説の世界 VOL.29

大会審査委員長・河口先生・島田全剣連副会長
●審査委員長・河口俊彦先生(範士八段)
全剣連副会長・奥島快男先生(範士八段)
全剣連では、範士九段・十段の先生は、規約によってお一人もおりません。
私の受審した第二会場先生方
●私の受審した会場・第二会場。6人の審査委員・範士八段の先生方
大阪市中央体育館
●大阪中央体育館はとにかく広い会場でした。
よほど集中しないと圧倒されます。
合格発表
●前夜なかなか寝付けなかったせいもあって、疲れ切った顔をしていますが、合格しました。
大阪四天王寺五重塔
●四天王寺は、今から1400年前聖徳太子が建立したものといわれています。何度も火災に遭い、当時の建物は残っていませんが、趣は残っています。
五重塔の頂上まで登りましたが、きつかった。
四天王寺・石舞台
●住吉大社の石舞台、厳島神社の平舞台、四天王寺の石舞台で「日本三舞台」といわれているようです。
重要文化財です。
「勝鬘院」愛染さん
●四天王寺の近く、愛染堂勝鬘院(通称愛染さん)
のお祭でした。近所のちっちゃな店で、お好み焼きを食べました。大阪のタレントの色紙が一杯貼ってあって、(色紙ベタベタのところで美味いためしがない)と思いましたが、他の客がおらず、そのまま席に。不味くはなかったのですが、ソースが私の口には合いませんでした。

 6月の末日、30日の金曜日に、大阪市中央体育館で、全日本剣道連盟の居合の六段・七段の全国審査があり、私は六段審査受審を受審し、幸運にも合格させて頂きました。
 全日本剣道連盟の六段審査は、五段を取得して、最低5年間稽古をした後でないと受審できません。私は幸運にも5年8ヶ月で合格させて頂きました。
 居合を始めて、今年の末で20年になりますが、ここまで続けられたのも、今回合格できたのも、これ全て私の居合の師である、中村親夫先生(居合道教士七段・剣道教士七段)のお陰です。

 居合とは別に、弓道を始めて25年になりますが、定まった師が見つからず、苦労しました。信頼に足る師を見つけることがいかに大切か、この歳になってしみじみ判ります。
 「守破離」という言葉は、武道などの修業における段階を示したものです。「守」は、師や流派の 今回、居合六段を頂いたことで、弓道の錬士六段と併せて、新しいものが見えてきたように思います。コンサルタント活動を再開すれば、20年前よりもいいアドバイスが出来るかもしれません。

 両者は、武道と言っても大きく違います。自分の手から刀は絶対に離して相手は斬れませんし、弓道は、弓に矢を番え、その矢を離すことで、目的物を射るのです。
 弓道も居合も40歳を過ぎてから始めましたが、弓道を先に始めていたところ、
「弓道も未だ纏まっていないのに、居合をやって、どっちも中途半端になるのがおちだ」
 と、ある弓仲間から言われたこともありました。しかし、昔の武士は、得意不得意はあっても、弓術も、剣術も、槍術、馬術もこなすことが本来武士の務めであり、双方やって中途半端になるならそれは上辺だけをなぞったいい加減なものだという思いで、両方本気で取り組みました。
 体軸の作り方(縦横十文字の規矩・臍を常に相手に向けよなど)、目づかい(目線)、心気の働きなどや、絶妙の手の内の働きなど、両者の武芸の基本とするところは全て同じで(細部ではその目的が違うので、多少違います)、私なりに大いに得るところがありました。
 今回の審査に臨むにあたり、中村先生からは、基本から細部に亘ってここを直しなさいとリストを頂きました。それは100項目ほどあり、その指摘項目を、いかに少なくしていくかということが、私の稽古の眼目でした。つまり100の修正点が、50になり、30に減れば、残りの50、70はおのずと身体が覚えて、無意識に技に活かされるというものです。
 居合は「理合」が最も大切だといわれます。その意味する理合とは、「理由、道理」のことで、特に居合は仮想の敵を相手にするわけですから、直接の敵がいません。技を見よう見まねの「形だけ」で覚えてしまうと、的外れの居合になってしまいます。いつどのような状況で、どこから何人の敵を相手にするのかと、実践的に想定することで、このような形で動かなければならないのだという「理合」が生まれます。
 また居合は「鞘の内」と呼ばれる事があります。
 すなわち、抜かぬ前に吾が心法の利をもって敵の心を制し、技の起こりを封じ、体の働きを奪い取る。それでもなお敵、害意を失わず切り懸けくるや、鞘離れの一刀、剣光一閃のうちにこれをたおすというのが、居合の大精神です。
 刀を抜かずして敵を制することは居合の極意なのですが、万一刀を抜いた場合は、抜刀の瞬時に鋭く刃筋正しく、敵を必ず倒すのが居合の生命です。 畳表を水につけて丸めた巻藁を斬る「抜刀道」も2年ほどやりましたが、刃筋と斬る位置が一致していないと、切り口が乱れ、ひどいときには、刀が食い込んでとれなくなり、刀は簡単に曲がってしまいます。

 さて、今から6年前に、長編時代小説「冬の櫻」という、弓術の名人、圓城寺彦九郎という、波乱の人生を生ききった人物を主人公にいたしました。明治時代より私がこの小説を上梓するまで、この小説は弓術長編時代小説の嚆矢でした。その後に上梓した「夏の熾火」も、紀州藩の三人の弓術家達の苦闘の物語です。吉見台右衛門(順正)、若くして逝ったその弟子、天才弓術家、葛西薗右衛門、更には、京都三十三間堂の通し矢で、未だに破られていない記録を打ち立てた和佐大八郎を取り上げました。葛西の好敵手、尾州の弓術家星野勘左衛門なども、重厚な弓術家として書き上げたつもりです。
 弓道で、10年以上呻吟した結果、多くの流派の伝書に目を通し、出来た作品でもありました。信頼に足る師との出会いがあれば、もっと弓道は上手くなっていたでしょうが、このような作品を書き上げたいとは思わなかったでしょう。今思えば嬉しい誤算だったかもしれません。

 「春のみなも」の女主人公「初」は、作品の中で、網代和尚から居合を学びます。柔は、内藤詮太郎、後の内藤魯一に手ほどきを受けました。父の仇討ちを叶えようと猛稽古したその後の「初」の大活躍は、剣術、居合、柔の稽古から生まれた、絶妙な間合いでした。

 弓道も居合も実際に体験し、ある程度稽古を重ねないと、読者に感動を与える時代小説・剣豪小説は書けないと思っています。「大菩薩峠」の中山介山、「柳生武芸帳」の五味康祐、抜刀道を経験された、津本陽などの諸先生方の作品は、素晴らしいですが、それに続く時代小説をお書きになる作家先生の弓術や剣術の記述は、荒唐無稽、理合も何もあったものではなく、お粗末です。
 私が時代小説を書く存在意義はそこにあると思っています。ただ、剣術描写の卓越した表現者は、後にも先にも隆慶一郎さんが一等群を抜いていました。そんな技などあり得ないと思いながらも、不思議な臨場感があって、一読者として楽しんで読んでいました。10年前に、66歳で逝ってしまったのはまことに残念です。

 最近作の「風浪の果てに」の主人公沼崎吉五郎は、柳剛流の二代目月島左馬之助の道場に寄宿し、その技を磨きます。福島藩の山間でマタギから学んだ火縄銃の扱いも、彼の人生に大きな影響を与えますが、それも自家薬籠中の物とするまで十分な稽古をしたのです。

 さて、幸運にも合格した私ですが、それなりに努力もしました。審査前の3週間、中村先生に3度特別稽古をつけて頂きました。最後の稽古は審査日の3日前、4時間の集中特訓を受けふらふらになって思ったことは
「実力以上の事は出来ない。今のありのままの自分の居合を審査員の先生方に見て貰う」
 そう開き直った瞬間、肩の力が抜けました。
「抜き付け、斬りつけを鋭く活かすためには、どのように力を抜くか」
 日頃、口を酸っぱくして中村先生から、御指導を受けていたことが、20年経って少し分かったということです。馬鹿ですね。でもここからが始まりです。小説の主人公のようにはいきませんが……。                           2017.7.4 春吉省吾
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