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「風浪の果てに」の上梓から2ヶ月半、ちょっと張り切りすぎたかも……。 VOL.28

對間さんの出展作品
若手の弓師・今井さん
居合演武をしたメンバー
右は私の居合の師・中村先生
関東梅苑会・佐藤B作さん
東京都民大会
●對間画伯の作品3点
●若手の弓師・今井さん。1年前に注文していた竹弓がうちあがり、受取に。この弓を育てて本格的に引くのはこの秋からです。弓術の奥の深いところです。
●居合の演武をした仲間達です。しっかり稽古をしました。成果はそれぞれの胸中に。
●私の居合道の師匠、中村先生。20年来御指導を受けています。渋谷区区民剣道大会
●福島高校・関東梅苑会。今回の講演は俳優の佐藤B作さん。福高19回卒、ちなみに私は21回です。
私の左は戸松次期会長さん。右端は塚原さん。来年は福島高校創立120周年。いろいろ大変そうです。
●都民大会での私の射形。あと5ミリ右肘が入り、押手の角見も更に効いていれば、もっと中ったと反省。この写真は、選手達を補欠で支えてくれた橋口さんの撮影。改善点が見えてきました。同時に朝昼取り違えている生活習慣も改善しなければ……。 

皆様におかれましては、お元気でご活躍のことと存じます。
 春吉、この1ヶ月、ばたばたと過ごしておりまして、そのツケが回ったのでしょうか、5月20日、俄に身体がだるくなり、22日はぐったりとして、「これはいつもと違うぞ」と、体温計を脇の下に挟んで、「インフルエンザだったら大変だな」と、突然の体調変化に少し、ドギマギしましたが、平熱。疲れがピークになっていたのでしょう。
 まあ、生活習慣を改めないといけないとは思いつつ、日中の雑事に追われ、物書き作業が、深夜から朝になってしまいます。猛省しております。
 4月30日の日曜日は、渋谷弓道区民大会、翌日の5月の1日、2日は母の様子見に福島へ、その晩は義兄と飲んだ後、友人達とのダブル酒宴。3日は友人のグループ絵画展で銀座へ。渋谷区剣道連盟剣道大会の居合演武が21日、5月26日は「関東梅苑会定期総会・合同同期会」(福島高校卒業生の関東在住の総会・懇親会)でした。翌朝、5月27日は東京都弓道都民大会男子団体戦の本番。立ち順が4番目と早く、開会式の直後に射場へ。(東京都内・東京都下45チームで、的中数の多い8チームが勝ち上がり、決勝トーナメントが行われます。渋谷は1本差で予選敗退。悔しさでメンバー皆が唇をきつく噛みました。メンバーそれぞれに「俺が1本外さなかったら」と思いつつ、その後の残念会でした。私は「落ち」という、5人の最後に射る主将格を受け持ったのですが、精神的な重圧が重くのし掛かります。まだまだ技も精神も未熟と痛感しました)
 それにしても、この1ヶ月は本番に備えての稽古の時間も多く、よく身体が保ちました。
 連休中も、手紙を書いたりメールをしたり、ネットショップ購入者の方々への梱包発送などの作業、執筆と新作構想のための資料読み込み。諸会合・会議、それに付随する飲み会。
 まあ、好きなことをやっている分には良いのですが、この年になると様々な雑事に巻き込まれ、多くの時間を費やします。年を重ねるということはそういうことだと納得しているのですが……。
 
 前述した、友人の絵画のグループ展、2年に一度開かれる、プロ、セミプロ集団の展覧会です。そのグループの中心になっておられる友人の對間さんは浅草入谷の陶器屋さんの三代目、現在は悠々自適の生活をされておられます。
 彼は白と黒を基調にした作品を3点出品されていました。前回の展示会も白と黒の際だった作品でしたが、今回は白と黒に彼の心象も表現されて、実に感慨深いものでした。
 油絵による、厚塗りの白と黒のペイントで塗り重ねられた作品は、墨による水墨画や書とは明らかに違います。「白と黒」のその質感を言葉によって表現しようとしてもなかなか難しいです。作品の評価は、小説書きではなく、美術評論家にまかせることにしましょう。

 ところで「白と黒」といえば、 老子道徳経上篇28(素朴への回帰)に、
「その白を知りて、その黒を守れば、天下の式(法)となる。天下の式となれば、その徳は忒わず、無極に復帰す」とあります。
 (はっきりとした明るい光明の値うちをわきまえながら、逆に混沌とした暗黒を離れないようにしていけば、世界の万物に従われる模範となる。世界の模範ともなれば、一定不変の真実の「徳」がその身について少しもくるいがなく、茫漠として果てしもない無限定の状態にまた戻されるであろう。)とあります。【老子・金谷治訳】
 また老子道徳経下篇40(「道」のあり方)には、
「大白は辱なるがごとく、大方は隅無し。大器は晩成し、大音は奇声、大象は形無しと」
(ほんとうに真っ白なものは黒く汚れているかのようであり、すぐれた方形にはかどというものがない。偉大な器ものははるかな後に出来上がるものであり、偉大な音響は耳には聞き取れず、偉大な象は普通の形としてはみえない。)【老子・金谷治訳】
 既にご承知の通り、28と40の「白」と「大白」とは対比してします。老子一流の逆説な言葉が成句になっています。これこそが老子の老子たる所以で、全宇宙は白や黒という概念に押し込めることは出来ない、という融通無碍の本質を述べています。それは「道」という言葉に代表されます。「道」という宇宙的広がりは、いわば無窮のその先までもエネルギーが継続され、止むことはないという世界観です。
 成句として一人歩きしている「大器晩成」の意味も「老子」の本来からいえば、違ってきます。  
 一般に「大人物の完成には時間がかかる」という意味でつかわれていますがそれは違います。   
 金谷治先生は
 「それは『老子』の真意ではない。『晩成』という言葉は、文字通りには『できあがるのがおそい』のであるが、前後の句との関係を考えると、むしろいつまでも完成しない、その未完のあり方にこそ、大器としての特色があるということであろう。出来上がってしまうと形が定まり、形が定まれば用途が限られる。それでは大器でなかろう」
 老子の「道」の深さが一筋縄ではない事を知るべきでしょう。老子は宗教的神秘的な面を持ちつつ、現実世界との関係を考え、世間的なずるさ賢さも併せ持つしたたかな思想なのです。
 なかなかどうして面白い「老子」です。
 拙著「風浪の果てに」の主人公、沼崎吉五郎は、身の回りに降り掛かる不幸と、不遇にじっと耐え、「老子」を独学します。その学びの方向性は吉田松陰と対極のものですが、決して劣るものではありません。むしろ人間の本質を松陰よりも深く見ていたかもしれません。拙著をそういう見方でお読み頂くのもまた面白く、松陰の直截的な剃刀のような緊迫思考と比べて頂くと、人間の生き方に対する違った視点が発見できるでしょう。

 現在「初音の裏殿」の基礎資料を色々と物色中です。主人公の名前も決まり、主人公や、取り巻く人物達のキャラクター作りや、実在の人物などを深掘りしています。
 例えば、「大英雄」といわれた西郷隆盛。老子的表現からいえば、「大英雄」は同時に「大悪人」あるいは「大奸佞」なのです。勝海舟もその才知と気っぷの良さを「表」とすると「裏」は陰湿で屈折していて、闇も深いのです。
 「初音の裏殿」とはそういう、誰も書かなかった、従来の歴史の主役が脇役になる「物語」です。
 そんなわけで、皇室や公家のこと、長崎の事など、事象と人間関係を時系列に調べています。  
 長崎の関連の書籍や地図は、平積みにして大分高くなっています。丹念に読んでいます。
 長崎会所に関する件では、三菱重工長崎造船所に勤められ、長崎に惚れて、長崎に居を移し、NPOの「長崎の風」という長崎観光ガイドのボランティアをされている、黒田様にお世話になっています。
 歴史の事象は崩さずに、架空の主人公が、連続した短編20連作の中で活躍するという力業の作品を作るためには、主役、脇役、社会動向の全ての詳細なクロノロジー(chronology・年代記)を作らなければなりません。
 気の遠くなる作業です。手伝って貰えるスタッフが欲しいと思うのは、こういう作業をしているときです。「売れっ子作家だったら……」と思わず繰り言も出そうになりますが、そこはそれ、スタッフが一人もいない(本当です)世界一弱小出版社オーナー兼小説家は、踏ん張るのみです。
 この先、京に行ったり、名古屋に行ったり、東京は根岸、上野周辺など、古地図を持参し、数回に分けて細かく観察してまいります。
 何れにしても、白を知ると黒が見え、黒が見えれば、白を知ることが出来ます。表が裏で、裏が表、その人間の持つ落差が大きければ大きいほど、人はその人間の不思議な魅力に取り憑かれ、その人物は多くの者達を誑し込み、多くの人々を動かし、歴史を動かします。
 さて「物書き春吉」として、どこまで読者を感動させられるか……。        2017.5.29  春吉省吾
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