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「人を殺す」ということ ~「風浪の果てに」の執筆の裏話~ VOL.12

 「風浪の果てに」という長編時代小説を書き始めて、大分たちます。当初に全体のプロットを作って書くのですが、細部に亘っては、書きながら変わってくるというのが、このところの執筆スタイルです。ガチッと枠を固めてしまうと、文章にゆとりがなくなってしまう気がするからです。  
 その時々の「ゆらぎ」のようなものをゆっくりと掬い上げ文字にしたいと思っています。
 長編ともなると多くの人物が登場し、死んでいくことになります。当たり前のことですが、それぞれに異った生き方と、その果てにある「死」を書くことがすなわち「生」を表現することであり、それが「物語」です。
 「風浪の果てに」では、既に2人のヒロインを「殺して」しまっています。半年ぐらい前から、もう1人のヒロインの「死」がずっと頭の隅っこにありました。
 全4章の内、そのヒロインの死を含む第2章の最後の部分がどうにも纏まらず、ずっと迷っていたのですが、やっと6月の末に書き終えました。  
 その間、その部分はそのままに措き、第3章を書き始めたのですが、こんなに呻吟するとは思っていませんでした。
 目を背けたくなるような情景であっても、読者が次の活字を追いかけずにはいられない文章を書きたかったからです。感情過多に陥らずしかし、情感は豊かに表現したいという追求です。尤も、上手くいったかどうかは読者の方々の読後感に委ねるしかありませんが……。

 そんな時、「ALWAYS 三丁目の夕日」や、最近では「精霊の守り人」の劇中の作曲(これを劇伴というらしい)をされている佐藤直紀さんが、テレビ番組で、
「つらいですよ(笑)。曲を書いてる最中は本当につらいです。スラスラ書ければいいですけど、曲なんてスラスラ書けるわけないじゃないですか。でも、締め切りはある。今日中に1曲終わらせておかないと、あとが大変だ、という日々の繰り返しなので、毎日本当につらいです。音楽が楽しいという時代は、大学で終わりました」
 とドキュメンタリー番組でお話ししているのを聞いて、深く納得した私でした。

 書き始めた第3章は、小伝馬町が舞台です。現世地獄として名高い「江戸牢獄」。ここでは、主人公の沼崎吉五郎と関わった、2人の人物とのやりとりを通して筋立てをしていきます。
 1人は、堀達之助、もう1人は吉田松陰です。
 前者は、ペリー艦隊の来航に主席通詞として活躍した人物ですが、思いもかけない罪で入牢。  
 同じ時期に獄中にいた吉五郎は、日本に押し寄せるアメリカやロシアの最新情報を奇しくも獄舎の中で聞けたわけです。
 もう1人の吉田松陰は、日本中で知らない人はいない人物です。西牢の牢名主となって、松陰が斬首になるその朝まで一緒にいた吉五郎は、遺書となった「留魂録」執筆の便宜を図り、その後、三宅島に流されても大切に持ち続け、それを後世に残しました。
 その吉五郎は松陰から何を感じ、学んだのでしょうか。
 松陰自身、死に臨んで、倒幕出来るなどとは思ってもいなかったはずです。松陰は理想に陶酔したかのような印象を抱かせますが、実は観念論では決して動かず、歴史の中から賢人や豪傑の仕事を捉えようとした人物です。
 松陰が吉五郎に獄中で教えたという、「孫子」と「孟子」を物書きとして読み直し、数十年前に買い求めた「講孟箚記」などを読み返し、巷間伝えられている「吉田松陰」という物差しの目盛りを捉え直すことから始めました。山鹿流の兵学から学び始めた松陰の中には、「山鹿素行」の考えがどっしりと居座っています。いろいろと勉強が必要です。

 私は松陰の志が、松下村塾の弟子達に忠実に継承されたとは思っていません。特に幕末を生き延び、権力を恣にした伊藤博文や、山県有朋にはその欠片もありません。後の多くの疑獄事件がそれを証明しています。
 松陰自身も死の6日前、獄中から、萩の岩倉獄に投獄されていた入江杉蔵(九一)に宛てた長文の手紙の中で、「要之諸人才気齷齪、天下の大事を論ずるに足りず、我が長人(長州人)をして萎薾せしめむ」とあります。
 松陰は大分思い詰め、小田村(楫取素彦・妻は2人とも吉田松陰の妹・「花燃ゆ」では大沢たかおが演じました)や久坂(久坂玄瑞・この男なかなか食わせ者です。「花燃ゆ」では東出昌大が演じました)たちは、私が伝馬町の獄舎に繋がれて、5ヶ月以上になるが、手紙ひとつもないと、友や子弟達の優柔不断さを嘆き、「要は長州人は、才気はあるが心狭く、冷淡であり、そんなことでは天下の大事を論ずることは出来ないではないか」と嘆いています。
 松陰は長州人の本質を見事に言い当てています。しかし、殆どの作家は、冷徹な視点を自ら放擲するように、松下村塾の弟子達を殊更持ち上げます。いつの世にも、磨いても玉にならない、あるいは才に溺れる人間はいるものなのです。いかに天才的な教育者吉田松陰をしても、心賤しい者はそう簡単に矯正されるわけではありません。かといってあまり長州人を毛嫌いすると、これまた会津びいきの早乙女貢さんのように、高杉晋作を一方的にチンピラ扱いにしてしまうというのも考えものです。まあ、20代の人間達が明治維新を動かしたのですから、言葉悪くいえば「未熟な青二才集団」には違い無いのですが……。

 そんなわけで、既成概念を払拭するには気分転換が必要です。
 7月の4日の夕方から翌日5日一杯、石和、甲府に行って参りました。私が非常にお世話になっている長澤邦夫、千鶴子ご夫妻が、「右楽」という美味しいおそば屋さんを営んでおります。(基本的には月曜日と火曜日、水曜日が休みなのですが、冬の時期は降雪のため長期休暇にはいりますので、お出でになるときは確かめて……)もりそば1枚のためにはるばる東京から訪ねてこられる方も多いというお店です。
 私にとって、ご夫妻は小説の筋立てのヒントや、出来上がった作品を批評していただく大切な方々です。長澤兄は様々な顔を持つ方で、早稲田の商学部を卒業の後、色んな職種を経て、何と花火師の経歴を持っています。蕎麦好きが昂じて、全国の蕎麦を食べ歩き、蕎麦の原料を仕入、蕎麦汁の返しなど自分が納得いくものを作り上げて現在に到っています。桃の咲く頃「右楽」さんのカウンターから眺める景色はまさに桃源郷です。
 一人息子の皓一さんは、単身フィレンツェに出かけ、その心意気と実力を現地の料理界のドンに認められ、そこでしっかりと修業したあと、現在甲府市内でイタリアレストランTrattoria Boboli(トラットリア・ボーボリ)というお店を営んでいます。5日のランチに、カルボナーラの白トリュフ(「食べ物の王者」です)のせを頂きました。まさに絶品、感動の味でした。デザートのパンナコッタも「う~ん、美味い」と思わず唸ってしまいました。お孫さん達2人もカナダに留学しておられ、夏休みで日本に戻ってきたばかりということでした。なんとも国際的です。
 長澤兄のボランティア活動も国際的で、ラオスに学校を建て、維持管理するなど、70を過ぎた爺さんの発想からは飛んでいます。凄いなと尊敬する人生の先輩です。
「右楽」さんのHP http://www.uraku-info.com/
Trattoria BoboliさんのHP http://www.t-boboli.com/colazione/index.html
 甲府、石和に行かれた際、お時間があれば、是非お立ち寄りを。

 さて7月も第2週。外せない雑事とおつきあい、大事な「飲み会」、弓道・居合の稽古、試合、初心者指導日などをカレンダーの予定表に埋め込んでいくと、空きがなくなりました。
 肝心の執筆作業は、今年中に「風浪の果てに」を上梓する予定にしています。
 「秋の遠音」、「空の如く」、「言挙げぞする」という随筆集、そしてシリーズ短編時代小説「初音の裏殿」の主人公はもとより、脇を固める多彩な登場人物の出自、性格、人間関係などの詳細設計と時代背景、シリーズ20作に絡む実在した歴史上の人物達との絡みなどを練り上げていきます。これら全ての予定をこなすとなると寝る時間が無くなってしまいますが、歳を考えてそこそこにしないと……、多少の予定遅延はご容赦ください。
 この2日間、長澤兄のご家族のお陰で、すっかりリフレッシュさせて頂きましたので、「風浪の果てに」の第3章、そして吉五郎が三宅島に流されてからの第4章としっかりと書き進める事が出来そうです。 
 主人公沼崎吉五郎には、絶望の奈落のその先に、更なる波瀾が待ち構えています。果たしてどのような結末を迎えるのでしょうか……。仕上がりをお楽しみに。
 春吉省吾 2016.7.6

右楽さん・本日定休日本日休業「右楽」さん
右楽さんの竹林宿泊させて頂いたベランダから、青竹の美しい空間が拡がる。
長澤家Trattoria Boboliにて 長澤家の皆様方。長澤ご夫妻、皓一さんご夫妻と、カナダから帰国していたお孫さん達。
長澤邦夫・皓一さんと私長澤兄とご長男皓一さんと私
富士山の雄志朝、食事前に、新道峠に連れていって貰いました。富士山の絶景ポイント。天気の良い時には富士山と真下に河口湖が望めるそうです。この日は青空が拡がるも、裾野は曇に覆われていました。しかしこの幻想的な富士の姿も美しい。
武田神社武田神社にて
恵林寺恵林寺の山門。武田氏を滅ぼした織田信長は、匿った者達を引き渡すように快川和尚に命じたが、和尚は拒否。信長は山門に快川和尚をはじめ百人の僧侶を閉じこめ火を放つ。左右の柱に「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火もおのずから涼し」の辞世が記されている。境内には武田信玄公の墓や、柳沢吉保夫婦の墓もある。
恵林寺庭園夢窓国師築庭の恵林寺の庭園。パンフレットには、この後国師は西芳寺苔寺や天竜寺の庭も築庭されたと書かれていた。外廊に坐って視線をあげると、借景の山並みが溶け合う。その先には、中山介山の時代小説の書き出しの大菩薩峠があるはず……。



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